読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

【天秤印】横浜弁護士雑記

横浜で弁護士をしている元裁判官が、日々感じたことなどを書いています。

脳脊髄液こぼれ話その1-ブラッドパッチ-(あるいは書評「脳脊髄液減少症(低髄液圧症候群)の理論と実務」)

交通事故 気になる、おすすめの書籍

 毎年,所属している研究会・委員会の関係で,横浜弁護士会の専門実務研究に論文を書いていますが,今年は,いじめによる自死後の調査・報告義務について大津の事件を端緒にまとめてみたものと,横浜地裁判決を契機に交通事故損害賠償研究会で行ってきた脳脊髄液減少症についての共著論文を書きました。

 後者の論文で書けなかった,推測や疑問,くだけた感想,そして論文を書く際目を通した「医と法から検証した脳脊髄液減少症(低髄液圧症候群)の理論と実務─医の診断と法の判断─」(杉田雅彦・吉本智信著,民事法研究会。以降では,「理論と実務」の本という表現を使おうかと思います。)を読んで考えたことなどを,書評をかねて書いておこうと思います。
 ちなみに,この「理論と実務」の本における前半,吉本智信先生記載の部分は,医学的な知識がわかりやすく書かれていて,読み物としても面白いと思います。 

1 脳脊髄液減少症低髄液圧症候群)って?

  脳脊髄液「減少」症という言い方だけではなく,低髄液「圧」症候群,脳髄液「漏出」症など,いろいろな病名で表現されますが,「本質的な病態はどれも同じ」と思われます。
 不正確かもしれませんが簡単に言うと,脳脊髄の髄液が「漏出」して「減少」し,脊髄液の「圧」が下がることによって,立った状態のときに頭痛がする(起立性頭痛)などの様々な障害が出る病態のことのようです。
 お医者さんによって,「漏出がなくても,同じ症状が出る」「髄液圧が下がっていなくても同じ症状が出る」など,その病気に対する見解が異なることから,それに応じて病名も異なるようです。もっとも古くから知られているのは,髄液を採取する際の「穿刺」-注射針のようなものを脊髄腔にさして行うもののようですが-の後に,髄液の「圧」が下がって起立性頭痛などの症状がでる,という「腰椎穿刺」にともなって生じるものなので,低髄液「圧」症候群がもっとも古くから医学界で認められた呼称にあたります。

 2 ブラッドパッチという治療法

      こうした症状が交通事故でも起こる,ということを,日本のお医者さんで主張された方(脳脊髄液減少研究会)がいらっしゃり,それを認めた下級審裁判例も出て一時期話題になり,民事法研究会から「脳脊髄液減少症低髄液圧症候群)の判例と実務-大発見か暴論か-」という書籍も出ました。
    そして,この病気には,「ブラッドパッチ」(EBP)という治療法が効くとされ,国際頭痛分類第2版などでは,それがこの病気の診断基準の一つに位置づけられていました(平成25年より,第3版のベータ版がすでに出て,診断基準からは外されましたが,治療法としては有効性を認められています。)。

    このブラッドパッチという治療法
    「理論と実務」の本では,「髄液漏の治療の基本的な考え方として,硬膜の穴から髄液が流出し続ける限りは,その硬膜の穴に対する自然修復機能が作用せず,穴が空いたままになると考えられている。ブラッドパッチの作用機序は,血液注入直後から脊髄の硬膜外の圧を上昇させ,髄液腔から硬膜外に圧差により流出していた髄液漏を停止させる」(43頁),「注入部位及び注入量は医師により異なるが,できる限り漏出部位近傍からEBPが行われる」(42頁)とされています。
    ちょうど「穴の空いた場所」に,「血液」で「栓」をするようなものなのだと思います。 

3 漏出部位の特定・同定は必要?,不要?

    上記の,「理論と実務」の本ですが,ここまで読んでいて,実は「あれ?」と思ったことがあります。
    それは,それより前の部分で,画像診断についての説明で,こんな記載を眼にしていたためです。
   
    脊椎MRIについては,Mokri教授の文献を引用して(40頁)
    「漏出レベルの同定(稀ならず認める)」
    「実際の漏出部位の同定(きわめて稀)」
   
    RIシンチグラフィーについては(36頁)
    「髄液漏出が認められる画像がもっとも望ましいが,これはあまり認められない。
   
    そのため,
    【漏れている場所(漏出部位)が分からなければ(特定・同定できなければ),血液で栓(ブラッドパッチ)のやりようがないのでは?】
    と疑問に思えたのです。
   
    ただ,「理論と実務」の本には,「漏出部位が同定されていないときは,以下のことを推奨する医師が存在する」として,「まず,腰椎部からEBPを行い,次に胸椎,次いで頸椎となる。」「Atkinsonは,自家血を12ml注入すると注入した場所から上に六椎体,下に三椎体移行すると報告している」(42頁)という記載があります。
    そんなに場所的に間隔をあけて効果があるものなのでしょうか?。
   
    しかし,書き方からして,医学界で多数の医師が認める見解というわけではないようです。  

 これまで脳脊髄液減少症の裁判例を読む限り,具体的に「どこに」ブラッドパッチが施されたかが書いてあるものは稀でした。これは,「お医者さんがやっている以上,適切に行われているはずである」ということか,あるいは,そもそもカルテにそうした記載がなかったのかのどちらかなのだろうと思います。

 それに、髄液漏れがあるという画像所見として、多くの事例において原告側が挙げるのは、脳脊髄液減少研究会の「脳脊髄液減少症ガイドライン2007」において基準の一つとされる,RIシンチグラフィーによる「早期膀胱内RI集積」「RIクリアランスの亢進」なのですが,前者は「髄液腔に注入した放射性同位元素が,普通より早く膀胱に排出される」のではないか,後者は「髄液が漏出している」から,「体内から放射性同位元素が早くなくなる」のではないかというもののようですので,そもそも漏出部位の特定・同定が出来ないようにも思われ、こうした事案でどうやってブラッドパッチを行ったのか、今一つ分からないところも出てきました(なお、この基準については、「理論と実務」の本では非常に強く批判がされていますし、脳脊髄液減少症の診断・治療の確立に関する研究」の「脳脊髄液漏出症の画像診断基準」でも、前者は「参考所見」後者は「疑」を「強疑」とするなど一段階結論を強める所見にとどまっています。)。

 「何度かブラッドパッチをしても効果がない」,という場合も,同じ場所に施術したのか,異なる場所に施術したのかで,意味も違ってくるような気もします(もっとも,これまではブラッドパッチが国際頭痛分類第2版の診断基準の一つだったために特に重要だったといえますが,国際頭痛分類第3版ベータ版ではブラッドパッチが診断基準から外れ、コメント欄に「自家血硬膜外注入療法(EBPs)は髄液漏出の閉鎖にしばしば効果があるが、1回のEBPsでは永続的ではなく、2回以上のEBPsが施行されるまで症状の寛解が得られないこともある。しかし、継続した改善は、一般的に数日を超えて期待される。場合によっては、継続した改善はEBPsでは得られることはできず、外科的治療が必要になることもある」(医学書院「国財頭痛分類第3版beta版)という記載がされたので,それほど重要視されない可能性もありますね。)。

  このあたり,ブラッドパッチについての医学界の定説はどうなっているのか,お医者さんはどうブラッドパッチを行っているのか。

そこのところは,読んでいてもよく分からず,疑問が残りましたね…。

4 ブラッドパッチの弊害・デメリット

  このブラッドパッチ。
    「自家血」を使うのは,体内でいずれ自然に吸収され,免疫反応などが比較的起こりにくいことが理由なのでしょう…,多分(お医者さんではないので,正確なことは分かりませんね。)。
   
    とはいえ,弊害がないかというと,そうでもないらしく,
    「理論と実務」の本(110,111頁)においても,短所として,短期的には,①脊髄腔の圧を上昇させ,脊髄の圧迫症状が生じる可能性があり,可能性としては四肢麻痺等の副作用が起こりえないとは言えないし,頭蓋内圧を上昇させることにより頭痛や不快感が生じること,②炎症性の変化が生じる(局所の痛み,前進の発熱,倦怠感)が生じる可能性があるとされていますし,報告された事例はないものの,長期的には,何らかの癒着性神経炎が将来的に発症しないとは限らないなどと書かれています。
    「画像でわかる脳脊髄液漏出症」(渡辺新著,日本評論社76頁)でも,感染、脊髄圧迫、癒着、硬膜外麻酔の危険などが書かれています。
    なお,ブラッドパッチは,平成24年6月1日付け厚生労働省告示第379号で,先進医療として認められ,「要件を満たせば」保険がきくようになりましたが,脳脊髄液減少症の診断・治療の確立に関する研究」の「脳脊髄液漏出症の画像診断基準」で「確実」とされる事例に限られるので,保険適用を受けることができるのはまだまだ狭き門なのでしょうね。

5 法律相談の現場で

     とはいえ,我々が法律相談を受けるときに,むち打ち,頸椎捻挫と診断され,それでも病院に通っても良くならないという訴えをしてくる人に,どう対応するのか,という問題があります。
    弁護士はお医者さんではないので,低髄液圧症候群であるかのような予断を与えたり,全く副作用が想定できないわけではないのでブラッドパッチで直るかもしれないという期待を持たせてしまうことは,避けたい気がしますね。
   
    かといって,訴えてくる方の中に,あるいは本当に脳脊髄液減少症に罹患している方もいらっしゃるかもしれませんし,実際に医師に診断を受けてみないと納得できないという人もいるかもしれません。
   
    私だったら…
    事故後の症状,現在の症状を聞いて,体位の変化による頭痛があるような場合には,可能性として「起立性頭痛」を症状とする脳脊髄液減少症という病気があるが,①そう診断されるケースは多くはなく,②治療には保険がきかない可能性も高く,③医師によって見解も異なる上に,④これまでの裁判例ではあまり認められていない,ということを説明して,あとは,本職であるお医者さんと相談して,なにか診断や治療を受けるときにはリスクについて説明を受けた上で,決めてはどうか。
    そんなことを勧めるかもしれませんね。