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【天秤印】横浜弁護士雑記

横浜で弁護士をしている元裁判官が、日々感じたことなどを書いています。

「非行と福祉」子どもセンター「てんぽ」8周年記念イベント

こども・学校

1 感化教育ということ

 少し前になりますが、5月16日には、子どもセンター「てんぽ」の8周年記念イベントである「非行と福祉」を聞いてきました。

 長年自立援助ホームを運営してこられた方を招いて、その経験をお伺いした企画です。話の中で印象に残ったのは、その方の考えられる「感化教育」という言葉の中身でしょうか。

 この言葉自体は、ベテランの矯正関係の方や、裁判所調査官の話で良く出てくるところでもあります。いまでも、少年院等で「理想的でロールモデルとなるような大人像」を見せることで少年を良い方向に向けていく、という考え方は、よく耳にすることがあります。

 ただ、百聞は一見にしかず、というか、長年、現場で苦しんできた方の話は、違うな、と思いました。

 「子どもが万引きをしても、その子が悪いと思っていない以上は、その子どもを責めても、直ぐには伝わらない。その代りに、子どもと一緒に、被害者のところに自分が謝りに行く。何度でも、何度でも、謝りに行く…」

 そのような話も、でてきたように記憶しています。

 聞きかじりにすぎませんので、細かなところは違うかもしれません。すみません。

 とはいえ、そういった、覚悟と、それに裏打ちされた幾度もの試行錯誤の中で、子供の立ち直りを支えようとしてこられた体験談は、やはり、伺ってみると鮮烈な印象を残します。

 以前もブログに書いた、子どもからの「いのちの電話」をやっておられた児童精神科医の先生も、同じようなスタンスをお持ちだったように思います。

 子どもは生まれてくるところを選べません。生まれてきた親・環境に対する子どもの不満を時間を掛けて受け止めてあげないと、子どもが過去への思いを断ち切り、前を向くことが難しいのではないか…、そういう問いかけは、重く心に突きつけられるものがあります。

2 少年を受け止める「時間」

 「重く心に重く突きつけられる」のは、裁判官や弁護士が直接的にかかわる少年司法の現場では、【それだけの時間を掛けることが難しい】側面もあるからです。

 少年事件の場合、少年が警察に逮捕されて、身柄を勾留された場合に、多くの事件では「国選弁護人」という立場で、初めて弁護士が関与するようになります。

 勾留は、最大10日間で、1回だけ延長が出来ますので、普通であれば20日以内に事件は家庭裁判所に送られることになります。

 そして、身柄勾留されている子どもの場合、それなりに軽くはない事件に関わっていることもありますので、多くの子どもは少年鑑別所に行くことになり、そこから最大2週間、やはり普通は1回だけ延長が出来ますので、普通であれば事件が家庭裁判所に送られてから4週間以内に、裁判が開かれることになります。

 弁護士に与えられた時間は、普通の事件であれば、この【20日間+4週間】ということになるでしょうか。

 この間、少年に会いに行く回数は、私であれば7~10回前後にとどまるかもしれません。

 一回会いに行くと、2時間くらい話しますので(私の未熟さもあるのでしょうが、話が続かず、言葉を返してくれない少年もいて、そうした時は短くなってしまいますね…)、全部合わせると10~20時間くらい、一人の少年と話をしているかもしれません。(そのほかには、親御さんと話すことが、3~7回前後、もし被害者が話してもよいと言ってくださった場合に、被害者と話すことが幾度か、というところでしょうか。)。

 でも、その時間で上に書いたような感化教育ができるかというとさすがにそれは難しいと思いますし、現に社会で一緒に生活していないのに感化といっても、講師の方の様な態度とは明らかに異なっており、言葉だけが上滑りしてしまっている感じが残ります。

 やはり弁護人として就いている以上、裁判までにできることを努力する、少しでも少年が変わるきっかけにならないかを努力してみる、というしかないと、個人的には考えています。

3 母親の役割と、父親の役割?

 講演を聞いていて、思いだしたことがありました。

 以前、裁判所調査官の方々が私的に作成されている、「調査官研究展望」という小冊子の中で、ある調査官が「少年審判の中で、調査官は母親の役割を担って少年の言い分を受け止め、審判官(裁判官)は父親の役割を担って教え諭す」ことで、少年審判の目的を達せられるのではないか、という論稿がありました。この考え方の、「母親の役割」ということが、今回の講演で伺った「感化教育」に少し近い気がします。

 とはいえ、裁判所調査官が少年の調査に使える時間は、ある意味弁護士よりも少ない(家庭裁判所に事件が送られてからの関与ですので)ところもありますから、裁判までの時間だけで「母性の役割」に十分というわけではないのでしょう。

 また、重大な少年事件が多くなっている昨今では、「父親としての役割」として表現されていた、「社会性という視点から、社会で生きていくために、他者との関係性を考えてルール違反を叱る原理」が全く欠如してしまっていれば、その裁判の理由と結論は、社会から受け入れ難くなってしまう可能性はあると感じています。

4 少年年齢の引き下げ

 では、昨今言われているように、少年法の適用年齢を引き下げればよいのかという点については…、それはそれで疑問なしとはしないのですよね。

 罪を犯してしまった人の多くは、いつか、社会に戻ってきます。

 その人が社会に出てきたとき、前と違って、罪を犯さなくても共生していけるようになってくれていなければ…、社会は悪くなるばかりのように思われるのですよね…。

 「少年法の年齢の引き下げ」という視点の背景には、そうした視点が抜けてしまっている気がして、少し不安を感じます。

 【重大な事件が増えたから厳罰化する】。それは、分かり易い対処法なのだろうとは思います。それで納得をする人も、多いのかもしれません。

 ただ、「刑が軽くなったから、重大な少年事件が増えたわけではない」ので、刑を重くすれば重大な少年事件が減るかというと、それは必ずしも分からない気はするのですよね…。

 私自身は、選挙等で選ばれた人が作る法律を「適用」する「司法」の立場に長くいましたので、そうした、法律の中身にふれる意見は、すこし苦手です。

 また、裁判というシステムは、【世間の人(当事者以外の、普通に生活している人々)の信頼を失ってはその機能を果たせない】ものだと考えていますので、世間の多くの人の考えを尊重しなくてよいとも思っていません。

 実は、裁判員裁判も、そうした点から必要な制度であったと考えています。

 導入される前は、裁判の結論が軽すぎるというマスコミ報道が続いており、他方で法律で刑が重く改正されるわけではなく、国会を通じて世間の人の声が裁判所に伝わってこない、という状況でした。

 そのため、世間の方々の声を聴かせていただくためには、裁判員裁判は必要だったのではないかと、個人的には思っています。

  今の、少年法の年齢引き下げも、多くの人が「そうならないと納得できない」とお考えであるならば、真剣に検討されなければならない側面はあるのでしょう。

 ただ、いずれ社会に戻ってくる子どもが少しでも「共生」できるようになってくれることが、あるいは、「共生」していける子どもが一人でも多くなることが、少しでも良い明日に繋がり得るのだとすれば…

 「教育」という側面も兼ね備えた少年院や少年矯正への道を塞いでしまう、「年齢引き下げ」だけでそれが実現できるのかは、分からないようには思われます。

  本当は、なかなか経済状態がよくならない中、【子どもたちに未来が描けるようにすること】が最善の処方だと思うのですが…。

 こればかりは、法律の内容以上に、そして感化教育以上に、どうしたらよいのかが見えてきませんね…。なさけないことなのですが…。

 ※ なお、私自身は、刑事事件や少年事件については、私選では依頼を受けておりません。これは、「国選で行う以上の活動をできるわけではないため」という考えによるものです。実際上、まだまだ国選事件で受ける事件だけでも疲労困憊してしまっているのが現状です。申し訳ありません。