なかなか、ブログを書くことまで力が回りませんが…。
7月27日と、28日には、函館で開催された、第11回日本子ども虐待医学会の学術集会に参加してきました。
「かよわくて、きっとつよい」という、サブタイトルが、非常にいいなあ…と思います(サブタイトルなのか、標語なのか、そのあたりはわからないのですが…)。
日本子ども虐待防止学会は、どちらかというと弁護士も理解できるソーシャルワークを学ぶ学会であるのに対し、日本子ども虐待医学界は弁護士とは全く畑違いの「医学」を扱う学会なので、知らない知識が多く、正直、こちらの学会の方が好きです。
ただ、医師でないと会員になれないらしく、3年ほど前に申し込みをしてみたら、断られてしまったことがあります(まあ、もっともなんですが…。)。
今回の学術集会でも、診断に関する発表、法医学に関する発表、性虐待に関する発表、頭部外傷に関する発表、医療ネグレクトに関する発表と、非常に多彩で、興味深い発表を伺うことができました。
知識的なものはひとまず置いて、感銘を受けたのは、基調講演として行われた、児童精神科医の田中康雄先生の「居る・つながっている・会えるから関わり続けることに意味があるから」でしたでしょうか…。
たとえ同居している家族でも、ある時期にはその子どものことを知らない「分断」が生じてしまうことがある。そう考えると、精神科医と子どもの間に「分断」はどうしても生じてしまう。とはいえ、虐待にあっている子どもは、「分断」というものに弱いところもある。だからこそ、精神科医の方が子供に関心を持ち続けることで、少なくとも精神科医の内面では「分断」を生じさせないようにすべきだ、というお話だったように記憶しています(誤解があったら申し訳ありません。)。
精神科医にできることは、「分断して生きることしかできなかった子どもの「生き方」の隙間に入り込み、少し(分断の)邪魔をする」ことだとし、「医師が子どもの前から勝手にいなくならないこと」が大切だと話された言葉が、耳に残っています。
以前、横浜でいろいろなことを教わっていた精神科医の先生からも、「精神科医は、いつも患者が逃げてくることのできる場所であり続けなければならない」という趣旨のことを言われたように(おぼろげに)記憶しており、その言葉が、なつかしく思い出されました。
2日間、いろいろと学ばせていただき、ありがとうございました。