うしなわれた子どもからのメッセージ~次の命を救うための死亡事例検証会議~
5月26日は、プライヴェートで、埼玉で行われた「うしなわれた子どもからのメッセージ~次の命を救うための死亡事例検証会議~」を聞きに行ってきました。
演者の先生が、MLで知らせてくださったこともあり、今回のお話は聞いてみたいと思っていました。
児童相談所に勤めていると、どうしても耳にする意見は児童相談所内のものが多くなり、独自の視点を失ってしまう可能性があると思っています。そのため、単に「流される」立場とならないためには、多の職種や外部機関の視点・意見を聞きに行き、定期的に自分を顧みる必要があると思っています。
また、今回の演者の先生方は、平成27年から29年にかけて、厚生労働省の科学研究費補助金を基に、「地方公共団体が行う子供虐待事例の効果的な検証に関する研究」に携わられた方々で、僕自身も平成29年にされた報告会も聞きに行って、いろいろとアンケートに意見を書かせていただいたこともあって、その後どうなったのかは気になっていました。
なにより、僕自身が児童相談所に来てみた理由・動機とも、少し関連がありました。
過去の重大事例の検証報告書は、僕自身、いくつか読んでいますが、「では、この検証委員の先生方が現場にいたら、一体どうしていたのか」「では、自分がそこにいたらどうしていたのか」。そこがなかなか見えてこないというのが、個人的な感想でした。
批判しているだけでは、「どうすればよいか」はわからない。だから、自分で児童相談所に来てみた、というのが、僕自身今の職場に勤めるそもそもの動機です(tただ、現実はいろいろと難しいことも多いですね…。)。
似た悩みを持って行われていたのが、この厚生労働省での研究であったと思っていましたので、今回のイベントは個人的にも関心がありました。
実際に聞いてみると、いろいろと得るところがありました。
厚生労働省で行われた研究の成果として、「重大事例検証のためのガイドライン」の完成版がこちらのホームページにあることが分かりましたので、また、今読んでいる一群の書籍を読み終わったら、是非読んでみたいと思います。
また、そのもととなった、厚生労働省の研究報告書についても、こちらにあるようなので、合わせて目を通したいな、と思っています。
とはいえ…、今読んでいる、一連の書籍も、まだ何冊かありますし(遺棄帰りの電車で、一冊読めましたが…)、それが読み終わっても、また別のイベントに申し込んでいますし…。正直、児童相談所運営指針も、一度じっくり読みなおしたいと思っているのですが…。こうなってみると、きりがないところはありますね。
焦っても仕方がないので、今、自分ができることをやることしかできないのですが。
統合的アプローチ研究会の設立大会を聞きに行ってみました。
ずいぶん久しぶりの書き込みですね…。
この間、読破した書籍などもかなりありますし、自分なりに調べた事項などもあるのですが。なかなか仕事に就くと、ブログに書くかどうかも、難しい判断を迫られますね。
5月12日は、「統合的アプローチ研究会」の設立大会を見に行ってきました。
integrated-approach.jimdofree.com
児相相談所と関わっている関連機関の方々などが、関わっておられましたので、関心をひかれて参加してみたものです。
実は、同じ日にメリデン版訪問家族支援入門研修もあり、どちらに行ってみようか、ちょっと迷ったのですが…(なぜこういう企画は重なってしまうのでしょう…)。
研究会の内容としては、対人援助に関わる多職種が、お互いに対話することで新たな考えの創造を目指すもの、ということのようです(間違っていたらすみません)。
隣に座られた方に伺ったところ、「統合的アプローチ」というのは、心理の分野でいま話題となっている一つの流れだとのことでした。
とはいえ、この方法で研究会を行っていくためには、参加する会員の自発的な活動がどれだけ活性化するかによるところが大きいため、なかなか、運営が難しいところもあるかな…と感じました。
今日のお話を聞いた段階では、「法律家」の関わり方が、今一つ見えてこなかったところもあり、まだ入会はしていません。
でも、おもしろそうだな、と思っていました。
セミナー「アレルギーの基本から災害への備えまで」を聞いてきました。
日曜日には、プライベートで、こちらのセミナーに参加してきました。
保育園、学校と同じく、児童相談所や養護施設でも、子どものアレルギーについては知らなければならない問題の一つです。
保育園に関するアレルギーガイドラインや、学校給食における食物アレルギー対応指針に目を通してはみましたが、まだまだ医学的な機序等、ガイドラインを読むだけではわからないこともありましたので、参加してみました。
理解しないと、ガイドラインに書いてある内容なども、なかなか腑に落ちてこないので、どうしても、物事の機序を知りたくなってしまいます。
…なにも、遠方に行かなくても、愛知県でも2月17日に以下のようなセミナーはあったのですが、愛知県のセミナーに気が付く前に、すでに3月10日のセミナーを申し込んでしまっていましたので…(愛知県のセミナーも、2月17日に参加してみましたが。)。
参加してみてよかったな、と思います。
2月17日の愛知県のセミナーが、教育関係者向けであったのに比べると、今日の研修は、もう少し内容としても専門的なものでした。会場には、小児科医の先生などもいらしていました。
それだけあって、最近になってアレルギーがなぜ増えたのかといった点についての仮説や、アトピー性皮膚炎が食物アレルギーの原因になっているのではないかという仮説など、いろいろと興味深い話を伺うこともできましたし、「血液検査の結果」がかならすしも食物アレルギーがあることを直ちに意味するわけではないことなども、その仕組みがいくらか分かってきました。
でも、まだまだ知識が断片的だな、と思います。
今回のセミナーで、いくつか存在を知ることのできた参考資料を、また印刷しましたので、折を見て読みたいとは思っていますが…。
それとは別に、学術書というか、体系書のようなものがあれば、一冊読んでおきたい気もしますね(そういえば、あまり参考【文献】の紹介がないような…。論文や報告書などは、存在が分かったものは読んだりもするのですが。)。
法律的な面については、自分の研究事項になりますが。それもまた少しずつ。
認知行動療法って?
1月12日と、2月2日には、「ここらぼ」でこの研修に参加してきました。
「認知行動療法」という名前は、以前、家庭裁判所にいたときに、家裁調査官の方々から伺ったことがありました。
当時は、今一つぴんと来ないところがあり、むしろ個人的には「家族療法」に関心を持ったため、認知行動療法について調べることまではしませんでした。
しかし、その後、「アンガーマネジメント」や、「ペアレントトレーニング」の本を読んでいくと、どうも認知行動療法の考え方が取り入れられているのじゃないかな…と思われる個所が散見されましたし、認知行動療法という考えは行動分析学とも関連があるようなので、「一度何かの機会にきちんと書籍を読みたい」と思っていました(でも、ついつい後回しになっていました。)。
今回、ちょうど名古屋でこうした研修がありましたので、一度「ここらぼ」を見に行くことも兼ねて、申し込んでみたものです。
…7年間、弁護士として児童精神科の医師主催の症例検討会や、養護教諭の先生方やSSWの先生方の勉強会に出ていた横浜と違って、名古屋では、まず「子どもに関わる方々の地図」から書き始めないと、わからないところもありますから…。
聞くことができたお話は、とても興味深いものでした。
認知行動療法等のものについて、自分個人のイメージで表現すると…。
ものすごく簡単に言うと、「悲観し過ぎないようにする」「怒り過ぎないようにする」ということでしょうか。
…それだけ聞くと、そんなこと簡単だ、とか、日ごろやっていると思う人もいるかもしれませんが、そうでしょうか?(僕も、できているときとできていないときがありますね…)。
ただ、楽観的になればいい、考えなければいい、というのではありません。いろいろな危険のある現代社会で、楽観的であれば生きていける、考えなければ生きていける、というものでもないと思いますので。
「し過ぎない」というところが重要です。
「きちんと。深く考える」「だけれども、悲観のし過ぎや、怒り過ぎまではしない」
こうなるでしょうか。
自分の心を知ることは、結構難しいです。
「自分の目には見えない」ですし、「というか、自分自身だから」、わざわざ自分で「知ろう」とまではしない、のでしょうし…。
「悲観し過ぎるなと言われても、そういう気分になってしまう」ということも、あるのかもしれません。
でも、
①「あれ?、自分の気持ちが沈んできたな」「体の調子がおかしいな」と思った時に、
「なんでだろう?。何か心が疲れたのかな?。自分はどう『考え』たのかな?」
と遡って考えてみたり、
②腹が立った時に、ひとまず時間をおいて、冷静に考えられるようにしたうえで、「なんで腹が立ったのだろう」「自分はどう『考え』たのかな?」と遡って考えてみる
認知行動療法の考え方だと、いろいろな「出来事」と、自分に生じる「気分」の間に、自分の「考え」というものがはいっており、それを冷静に検討しなおすことで、「悲観のし過ぎ」「起こりすぎ」を避けることができる、ということのようです(素人なので、間違っていたらすみません。おそらく、学術的には不正確なのだろうと思います。この「考え」と簡単な書き方をしてしまったものが、こちらのサイトで書かれている「自動思考」というものだと思うのですが)。
今回の研修では、そうしたことを学校で子どもに教え、子どもたちに実際学校生活の中でそうしたスキルを試してもらうことで、子どもがよりストレスに強くなれる、困難に立ち向かうことができるようになるのではないか…という試みが紹介されていました。
どうしても家庭裁判所にいたころに認知行動療法を知ったこともあって、なにかトラブルが起きたときにその問題解決のために使う、という印象・イメージがありましたが、日ごろからそうした態度・思考のパターンを身に着けておけば、よりよいのはその通りだな、と思います。
う~ん、やっぱり、認知行動療法の本も、なにか読まないとなあ…と思いますね。専門分野以外だと、どの本がいいのかの見極めがつきにくいのが悩みの種なのですが…。
名古屋には、僕も参加できる研究会や勉強会みたいなものが、あるのかないのか、その辺がまだよくわからないのですが…。
「相談援助職の記録の書き方」【書評】
この年末年始には、2冊の本を読みましたが、そのうちの1冊がこの本です。
面白い本です。ただ、児童相談所にそのまま使える内容ではないだろうと思うので、新人の方などにはお勧めし難いところがあるでしょうか。
著者の八木亜紀子先生は、アメリカの大学でソーシャルワークを学び、その後もアメリカの現場で活動された方とのことです。そして、この本では、アメリカのソーシャルワーカーが記録を作成する際に注意していることや、具体的な方法が紹介された後、さらに、日本で各分野のソーシャルワーカーが記録を作成することを想定し、いくつかの分野について記載例(「悪い例」と「修正例」が比較できるもの)が載っています。
そうした記載例の充実や、訴訟や個人情報といった視点にも触れてあることは、良い本だと思います。
ただ、ソーシャルワークは、多種多様な社会福祉の場面で行われ、場面ごとに期待される・果たしている役割が異なるものです。ですので、その特定分野の記録作成について書かれた書籍があれば、その特定分野のソーシャルワーカーにはそちらの方が役に立つことは、ありうると思います。
そして、この本に書かれている内容は、児童相談所向けの記載とは言えないように思います。
多くのソーシャルワークに見られるように、相談に対して本人が適切に支援を「選択」できるよう援助する(ケアマネジメント的)という役割ばかりではなく、児童相談所においては「児童虐待」あるいは「不適切な養育」という問題への対応(立入調査等や裁判といったものも含めて)が強く求められていますので…(そうした、児童相談所に対応した記載箇所はありませんでした)。
また、アメリカと異なり、日本においてはソーシャルワークにおける裁判例の蓄積がそれほどあるわけではありませんので、この本に書かれている個人情報や訴訟の視点についても、日本ならばこうなるのでは?、という、筆者の推測によるものであって、確たることは言えない部分もあります。
とはいえ、こうした本を読むと、『自分ならどうするか』を考えさせられるので、とても有意義でした。また、改めて他のソーシャルワークと児童相談所がやらなければいけないこととの「違い」を認識することもできました。
なかなか、『自分ならどうするか』の考えが、すぐに固まるわけではありませんが…。
日本青年期精神療法学会を聞いて―精神医療について思うこと
12月2日(日)には、岡山からの帰りがけに大阪で一泊して、精神科医の先生のMLで回ってきた、この学会を聞いてきました。
今年のテーマは「青年期の発達障害と精神療法」とのことで関心がありましたし、関心があるものは、まず見てみないと分からないかな…と思ってしまいますので。
(きりがないので、ほどほどにはしています…)。
「法律」というものを扱っていると、「法律」では解決しきれない、「人の心」というものには、関心を抱かざるを得なくなるところがあります。横浜にいたころ、全部合わせると5年間ほども、児童精神科医の先生との勉強会には参加していました。
あらためて、児童相談所という場所に身を置いた上で、精神科医の先生方の話に耳を傾けると、いろいろと考えさせられるところがあります。
まだまだ児童相談所に入って間もなく、また、精神医学についてきちんと勉強していない身なので、ちゃんとわかってはいないのでしょうが、児童相談所と、精神科医の先生は、お互いに、「お互いが何ができ、何ができないか」を必ずしも十分に理解できていないのではないか…、それが、うまく協働することを阻んでしまっている部分が多少はあるのではないか…
そんな気持ちを、少し感じますね。
ただ、やむを得ない、避けようのないすれ違いであるところもあるのかもしれない…
そんな気持ちも、少しあります。
精神医学、というのは「唯一の正解」というものが必ずしも存在しない世界なのじゃないかな…、と個人的には思っています。
精神医学の世界には、MRIも、CTもありません。
もともと、本当はわからない、確かめようのない「人の心」を想像して、患者と対話しつつ、患者に影響を与えていく…そんなところがある分野ではないかと感じています。
他方で、現代では、不可解な事件、その人がなぜこういった行動をとったのかわからない事件が起こることも多く、そうした事件を起こしてしまった「人」に対して、どうしたらよいかがわからないこともあります。
そして…そうした場合に「答え」を求められてしまう専門家としては、どうしても「人の心」を扱う「精神医学」ということになってしまうのだろう、と思ってもいます。
そうした意味では、精神科医の先生方は、できないこと、できないかもしれないことを求められてしまう難しさがあるのではないか…。
それが、「精神医学」「精神医療」というものの、避け難い「難しさ」ではないか…。
そんなことを、少し考えることもあります。
他方で、精神医学、精神医療でなければ、良い方向への影響を与えにくい場面も、とても多いのだろうと思えますので、難しいのですが…。
今回の学会では、発表に対して質問をされた、ある先生の態度が印象に残りました。
その方は、自らの感情・負い目を分析された上で、そうした負い目や感情を発表者の先生がもっておられないかどうか、それが、「人の心」を読み解こうとするときに、影響してしまっていないかどうか。
そうしたことを聞かれていました。
知識としてはそうした姿勢を読んだ気がしますが、実際に、厳しく、自分自身をきちんと見つめないと、こうした「精神医療」に関わる仕事は難しいのかもしれない…。
そんなことを考えさせられました。
ありがとうございました。
発達障害児と保護者を支える心理アセスメント―「その子のための支援」をめざして【書評】
あんまりまとめてブログを書くのはどうかなあ…とは思うのですが。
まとめて書かないと、書く時間がとりにくいので(ほかにやりたいこともあるのですけれど^^;)。
ちょうど、この土日の電車の中で、読んだこの本が良かったものですから。
児童相談所には、心理を扱う児童心理司のかたもいらっしゃいますが、そうした方々は、児童相談所が取り扱う事件のお子さんについて、継続的にかかわってカウンセリングやセラピー等を行っていただいたり、お子さんの特性に合わせた「関わり方」を保護者の方にアドバイスしたり(アセスメントといいます。)してくださいます。
この本は、児童心理司の経験をお持ちの著者が、後者についてのご自身の考えや工夫を書かれたもので、とても勉強になります。
多くの児童心理司にとっては当然のことが多く記載されているのかもしれませんが、それでも、一つ一つの課題に真摯に自分の考えを示されているのはすごいなと思いますし、児童福祉司等、関連する職種にとっては、児童心理司の仕事の一端を理解する手助けになる気はします。
なにがしか、生きることへの難しさをもったお子さんと、その保護者の方への、温かなまなざしが全編を通じて感じられます。
「はじめに」の、「保護者の依頼によって行われたアセスメントの結果は、その保護者によって納得できるものとして受け取められてこそ実際に子どもの発達支援に活用される」という言葉が印象的でした。
また、ある種の傾向を持つお子さんの特性についてわかりやすく書かれており、そうしたお子さんがより力を伸ばしていくためにはどうしたらよいか、どうやってそうしたことを保護者の方に伝えていくか、という説明が、とても分かりやすく感じました。
相手の仕事を理解することは、よりよい協働には必要だと思っています。
ただ、児童福祉に関わる方々に、「裁判」というもの分かっていただけるようにすることは、思った以上に難しいところもあります。
裁判所は、「なぜ、そうした裁判をするのか」を証拠に基づいて、当事者はもとより、世間一般の方や、他の裁判官等に対して説明をしなければならない立場ですので…。
私の立場と、心理司や福祉司の立場は、常に一致するわけではなく、意見が食い違うこともありますが…。
何も食い違うところがないとすれば、それは、「法律の専門家を入れても児童相談所が変わらなかった」ということなので、決して望ましいことではないのだろうな、と思っています。