【天秤印】春日井弁護士雑記(旧名古屋・横浜弁護士雑記)

現在春日井市に勤めている元裁判官現弁護士が、日々感じたことなどを書いています。

ありがとうございました。

今日は、事務所泊まり込みで作業をしています。

そのおかげで、久々にパソコンに少し向かう時間ができました。

 

横浜で7年間、弁護士をやってみて。

いろいろなお客様と出会うことができました。

それぞれのお客様にどれだけのお返しができたのか…。

 

自分がお客様にとって最善の弁護士であることができたかはわかりません。

いまだ私自身勉強を続けている身なので、今日の自分より明日の自分の方が力をつけていると思いますし、

自分の力というのは、客観的にとらえることが難しいものですので…。

そしてなにより、弁護士の仕事のスタイルによっても、それぞれのお客様と会うかどうかの問題はあると思いますので…。

 ただただ一生懸命お客様と事件に向き合うだけでした。

 

とはいえ。

「紛争」は、いつまでもそれにとらわれていると、その人自身が前に進むことができなくなってしまうものです。

そうした「紛争」に「解決」をつけるために「裁判」というものがありますが、裁判の結果にも納得できなくなってしまわれると、その方の中で「紛争」が終わらなくなってしまいます。

弁護士の仕事は、お客様が「紛争」に対して「できることをした」「やれることをやった」と納得できるようにする「お手伝い」だと思っています。

この7年間、一緒に事件に関わらせていただいた幾人かのお客様が、「紛争」に区切りをつけ、前に進めるようになられていることを、そして今も前に進まれていることを、願っています。

※ しばらく、更新を休むと思います。すみません。

SOS子どもの村「里親養育の質の向上をめざして」に参加して

 正直、間もなくパソコンを事務所から撤去しますし、そもそもパソコンの前に座る時間が少なくなってきました。

 そのため、委員会・研究会やイベント・研修等もあまり参加できない状態ですが、先日のこのイベントだけは、是非見ておきたいと思いかねて申し込んでいたものでしたので、(一晩くらい事務所の泊まり込みが増えるかもしれませんが)参加してきました。

【里親支援のフォーラム開催】東京会場は満員御礼/九州会場受付中です!|子どもの村ブログ|SOS子どもの村JAPAN

1 SOS子どもの村

  福岡にあるSOS子どもの村は、子供のための施設を作ることもなかなか難しいときに、「育親」さんが子供を育てる家をいくつか集めて作る形で始まった試みだった…と思います。

 SOS子どもの村自体は、国連の「キンダードルフ」という取り組みだったかと思いますが、福岡において、その関係者を幾度がお呼びしてお話を伺うなどし、ついにはキンダードルフとして認定を受けた…という話だったように、記憶しています。

 もともとは、福岡市の児童相談所に勤めていらっしゃる久保健二弁護士とお話などをした際にその取り組みのお名前を伺い、昨年、「日本子ども虐待防止学会」に「SOS子どもの村」がブースを出しておられましたので、そこで配布されていた過去の市民フォーラムの報告書や、「フォスタリングチェンジプログラム実施報告」などをいただき、目を通していました。

2 外部と交流のある社会的養護

  前のブログで、施設や里親は、外部・社会の視点を入れていくこと,オープンになっていくことが必要ではないかと書きましたが、そう考えるようになったのは、この福岡の「SOS子どもの村」の取り組みを知ったことによる影響が大きいでしょうか…。

 もともと、久保先生の書籍を通読させていただいたときに、自分とは見解が異なる個所や、出典がわからず検証ができない箇所等はあったものの、その学びの深さに驚きました。

www.kajo.co.jp

 その後、福岡市の児童相談所長である藤林先生と久保先生がご一緒にイベントに参加された際、お話を伺って、「トップの藤林先生がおられてこそ、久保先生もあそこまで力をつけられたのかもしれない」とも思うようになりました。

 そして、このSOS子どもの村開設にいたる取り組みの過程を、報告書を追って読ませていただいたときに、「ああ、これは地域の複数の方々がこうした積極的な取り組みを望まれたからこそ、藤林先生も久保先生も、お力を発揮できたのかもしれない」と思うようになりました。

 上で触れた「フォスタリングチェンジプログラム実施報告」を見ると、SOS子どもの村が、フォスタリングチェンジプログラムを学ぼうとした経緯が、以下のように書かれています。 

 しかし、4年を経過し、育親やスタッフに疲れが見られるようになり、今までの支援や研修にはない「新しい支援」の必要性を痛感することが多くなりました。そのような中で、上鹿渡先生の「子どもの問題行動への理解と対応」を読み、プログラムの一部「アテンディング」を体験し、このプログラムが、求めていた「新しい支援」なのではないかと感じ ました。生活の中で実践し、日々の生活が変わっていくことが大きな魅力でした 

 専門家に対して、育親の方々が直面されている問題や必要な援助を率直に伝えることができたのであれば、すごいなと思います。

 先のブログで触れた安全委員会方式でもそうですが、子どもを育てて行くに当たって直面する様々な問題は「まだ小さい兆候のうち」に対応することが、結局大きな問題となることを防ぐことに繋がるのではないかと思いますし、それには、施設や里親が外部に対して開かれることが必要だと思っています(もちろん、子供のプライバシーはありますので、すべて誰に対してあけっぴろげにすればよいわけではありませんが)。

 とはいえ、実際にお話を聞いてみると、「SOS子どもの村」という枠組み自体、まだまだ試行錯誤を続けている段階であり、その成果もまだ未知数のような印象も受けました。

3 イギリスの里親研修

 なお,この日のお話の中心は「SOS子どもの村」のことではなく、イギリスで行われている里親の登録制度・研修等についてのお話でした。

 イギリスでは、里親に対しては毎年、里親としての登録を継続するかどうかが【審査】され、そこで継続が認められない方も多くいらっしゃるようです。また、里親としての信頼性について警察に照会を行うなど、日本とは比べ物にならないほど、里親と認定するかどうかに慎重であり、また里親に責任を求めているように見受けられたことが印象に残っています。

 …通常であれば、イベントの前に関連する文献等を探して目を通し、それができなくても、講義後に論文等を探して、知識の補強をするように心がけているつもりですが、当分、そうした余裕を持てそうにありませんので、あるいは聞き違いや誤解もあるかもしれません。その際には申し訳ありません。

 まだ、今の時点では、聞いた内容を消化したり、自分なりの見解を考えるところまでたどり着けないのですが…。

 また、余裕ができたら、イギリスの里親制度について調べ、学び、考えてみたいと思います。

【安全委員会方式研修会】に参加して

 先日は,名古屋での生活拠点を探しがてら,「安全委員会方式研修会」に参加してきました。
 「安全委員会」方式というのは,話を伺った限りでは,児童福祉施設の中で,力関係に差がある「身体への暴力」等を主に対象として,外部の委員を含めた安全委員会が,定期的な聞き取り調査や委員会の開催などによって対応を行う方法のようで,九州大学名誉教授の田蔦誠一先生が考案されたもののようです(もし,誤解や不正確な理解があったら,申し訳ありません。)
 こちらの全国児童福祉安全委員会連絡協議会のホームページや,同協議会の築山高彦先生の書かれたこちらの論文などを読むと,もっと詳しいことがわかるのかもしれません。

 以前,別のブログで書評を書いた「オルヴェウスいじめ防止プログラム」に少し似ていますね。オルヴェウスいじめ防止プログラムは,もともと社会学的なアプローチが背景にあるように思われますので,子どもの集団や地域社会といった各「コミュニティ」での話し合いと合意形成を重視しているのかな…と思える点,そして,他に家庭という生活の場がある「こども」が集まる場である「学校」を主な対象としている点で,安全委員会とは違いが生じているかな,と思います。

 お話の中では,「愛着(アタッチメント)は,安心・安全なしには育めない」という言葉が印象に残っていますね。

 また,外部・社会の視点を入れていくこと,オープンになっていくことは,社会的養護(施設・里親を問わず)というものに社会の理解を得なければならないこれからの時代には,必要とされることだろうと個人的には思っています。

 もちろん,こうした方法を用いれば,全て問題が解決するといったものではないのでしょうし,導入する施設がどれだけ真摯に取り組むかによって,効果にも差があると思われます。
 しかしながら,もし施設の方が真摯に実施しようとお考えになるのであれば,一定の効果はある方法ではないかと思いますね。

ナラティヴとアセスメント-児童虐待や少年非行におけるソーシャルワークについて思ったこと

 少し前に考えたことを,振り返りも含めて書き残しておきます。本当に「雑感」で,整理されているわけではないのですが…。

1 英国における子ども虐待におけるソーシャルワーク

 昨年の11月25日,26日には,チャイルドファースト・ジャパン主催の「子ども虐待におけるリーガル・ソーシャルワーク ~英国の歴史~」を聞きました。
 その席上では,「LUMOS」(当日聞いた話では,ハリー・ポッターの原作者が設立した団体で,物語の中の「明かりを灯す」呪文の名前を冠してあるそうです)のNaomi Deutsch氏が海外講師として呼ばれていたのですが,そこでの話は非常に興味深いものでした。
 イギリスでは,子どもの虐待があった場合に,子どもが親から離れて暮らす必要があるかどうかは裁判所が判断をするのですが,その際には,地方自治体ではなく国が雇用しているソーシャルワーカーが子どもや親,その他の関係者と話し合って,子どもがどこで生活するかだけではなく,どの学校に通うのか,地域や友達との関係をなくさないためにはどうしたらよいかといったことも含めた,総合的な「より子どもにとってよい生活プラン」を検討し,そのプランを裁判所に提出するという話がありました。
 もちろん,そうした制度には,多額の税金も使われていると思いますので,他の問題よりもそうしたことに税金を回すべき,という一般の方々の合意が無くては難しい制度なのだろうと思います。
 この話を聞いたときには,非常に興味深く思い,そのソーシャルワークのやり方の一端でも学べないものか,何か論文などがないかと思って,インターネットで探してみました。
 そうして出会ったのが,田邊泰美著「英国児童虐待防止研究ーコンタクトポイントCPd:ContactPoint datbase),共通アセスメントフレームワーク(CAF:Common Assessment Framework),児童情報管理システム(ICS:In formation Cfildren's System)が児童(虐待防止)ソーシャルワークに与える影響について」(園田学園女子大学論文集第48号)です。

 そのなかでは,共通アセスメントフレームワーク(CAF)の課題として,「実践家は子どもの懸念をナラティヴで表出する。ナラティヴを利用することで,子どもの全体像や背景/脈路に関する情報を提供し,懸念を明確にする。」「CAFのフォーマットはナラティヴを否定し家族を解体/分散させている。ナラティヴの否定は,子どもの懸念/ニーズを家族関係/脈絡から切り離された情報端末に置きかえ,家族の持つ時間的・歴史性を捨象する」との記載があります。

 …素人なので正確に理解できるかはわかりませんが,本来のソーシャルワークでは時間的な流れを踏まえての「その子の,その家族の物語」を捉えるのに対し,アセスメントの中にはそうした要素を入れることが困難であり,結果として正確に伝えることができない,ということのように思われます。

 そして,同論文ではそうしたアセスメントの手法が,ソーシャルワークにおけるナラティヴの否定に結びつくのではないかとの懸念が示されています。

 日本においても,重大な児童虐待は生じていますので,実務家・専門家の間での「子ども・家族」についての情報の共有(共通言語)のようなものを図る必要はあると思っています。そして,ナラティヴは,ある意味共有や客観化が難しい側面もあるように感じていますので,どうしてもアセスメントが必要な部分はあるように思われます。

 ただ,アセスメントを精緻化すれば,現場の人間が使えるか,また,「子どもや家族」についてきちんと共有できるかというと,そういうわけではないのでしょう。

 ナラティヴを活かしながら,他方でアセスメントと両立させることが大切なのだろうと思います。

 そういえば,先日読んだ「『三つの家』を活用した子ども虐待のアセスメントとプランニング」にも,冒頭に著者(外国の方ですので,日本の制度での話ではないのですが)のこんな言葉がありました。

 「私がこのツールの第1バージョンを作ったのは,子どもや少年少女のために児童・青少年・家庭局が提供するサービスのプランが一般的過ぎる,子どもや少年少女,親や養育者,家族の意見が明らかではない,という家庭裁判所裁判官の批判に答えるためでした。」

 この「三つの家」のアプローチや,サインズ・オブ・セーフティのアプローチ(こちらはまだ読んでいないので,違うのかもしれませんが…。)は,ナラティヴをできる範囲で客観化して,アセスメントとしても使おうとする試みなのかもしれませんね(もちろん,精緻なアセスメントまでは行えない=本人が語れないと思いますので,限界はあるのかもしれませんが…)。

2 日本の少年事件における調査

 そういえば,昔裁判官だった頃,同じような会話を家庭裁判所調査官とした記憶があります。

 「家庭裁判所調査官が,この子どもの心の中でAという物語があったのだと考えていることはわかる。でも,この子どもの○○の事実からは,Bという物語も考えられるし,Cという物語もあり得る。当然,そのどの物語を採用するかで,子どもに【今後直してほしいこと】も変わる事になる。だから,家庭裁判所調査官はなぜBやCという物語ではなく,Aという物語を採用したのかを教えてほしい。」

 そんな会話をしたことが。

 少年事件においては,家庭裁判所調査官が,非行の原因や少年の抱える課題を明らかにするために,調査を行います。

 こうした家庭裁判所調査官の調査について,むかしある方が書いた文章(エッセーのようなものでしょうか…)の中で,「少年審判の中で,少年審判官は父親,家庭裁判所調査官は母親としての役割を果たさなければならない。」としていたものを読んだ記憶があります。

 相当昔の文章なので現在では表現としては適切ではないと思いますが,文章中では父親というのは白黒を付ける審判的な立場,母親というのは子どもの成長を信じ受容する立場を表現していたような記憶があります。

 昔は家庭裁判所調査官の調査結果は,ナラティヴとしての側面も強くもっていたように,個人的には感じています。

 ただ,以前所属していた弁護士会の「子どもの権利に関する委員会」などで伝え聞いた話からすると,家庭裁判所調査官のありようも,幾分,ナラティヴからアセスメントに軸足を移しつつあるような気もしています。

 それはそれで,必要なことだと私も思うのですが…。

 他方で,心理学の知見も学んだ家庭裁判所調査官がナラティヴを行わなくなってしまったときに,【誰がその子のナラティヴを裁判官に語れるのか】は,気になりますね…。

 受刑者の更生などでは,最近ナラティヴを活かした取り組みも行われているように感じますし,その子どもが「生き直す」には,ナラティヴという側面は必要な気もしますので…。

 もちろん,それだけで全てが上手くいくものではないので,難しいのですが…。

むずかしい子を育てるペアレント・トレーニング【書評】

 通勤読書でも、この本なら読めました。

www.akashi.co.jp

 「ペアレント・トレーニング」というのは、アレント【parent】=親のトレーニング、つまり、親として子どもと接する方法についてのトレーニングのことを言います。

 インターネットで検索すると、発達障害の子どもとの接し方についてこうしたトレーニングが行われることが多いようですが、特にそうした場面に限ったものではありません。

 この本の内容は、非常に平易で分かりやすく、アンガーマネジメントの本や、行動分析学の本で見た知識がいろいろとちりばめられていることが分かります。初めはそれにとどまるのですが、だんだん内容も応用的になってきます。

  「具体的な表現」を使って行動について話せば、相手を責めずに済むといった話などは印象に残っていますね。裁判でも、相手を責める言葉ではなく、【具体的な事実が何なのか】が重要なので、そうしたことは依頼者によく言うことがあります。

 また、この本では「親の期待を明確にする」ことの重要性が繰り返し語られているのですが、今の時代、親もまた「子供に何を求めたらいいのか」がわからず、「親の期待を明確にする」こと自体が難しくなっていることで、昔よりも親子間の問題を複雑になっているのかな、とも感じました。

 もっとも、そうしたことは思春期以降に出てくる問題かもしれませんので、この本ではなく、下の本の守備範囲なのかもしれません。こちらも、いずれまた余力ができたら、買って読んでみたい気もしますね。 

www.kinokuniya.co.jp

「学び」で組織は成長する【書評】

もはや、本当に通勤の間くらいしか読書には使えなくなっていますが…。

 先日、この本を読み終わりました。

「学び」で組織は成長する 吉田新一郎 | 光文社新書 | 光文社

 いささか前の本ですが、面白かったですね。

 「一人でできる学び」「二人でできる学び」「チームでできる学び」「組織レベルの学び」の4つについて、それぞれ5~6種類の「学び方」が紹介されている本です。

 それぞれの学び方についての記述は薄いのですが、具体的なイメージは持てますので、比較的簡単な学び方であればこの本を読んだだけでもできるでしょうし、複数の学び方を比較できる点が、とてもいいと思います。

 他方、「組織レベルの学び」については、さすがに新書サイズのこの本の数ページでは書けなかったのだろうと思いますが、具体的な方法論等についてはこの本だけで分かるのは難しいと思います(他書が紹介されています。)新書版である以上、これは仕方がないと思います。

 しかし、この本を読んで一貫してよくわかったのは、【学び】には、【前の準備】と【後の振り返り】が非常に重要なものであり、時間というコストはかかるものだと覚悟を決める必要がある、ということでしょうか…。

 できる方法は、今後自分でも試みてみたいと思います。

 

 この本を読んでみると、先日ブログに書いた「3つの家」のアプローチは、親と子が、それぞれ「お互い」を学んでいく過程を、ソーシャルワーカーファシリテーター)が「学びのリーダー」(この本では、「リーダーは教えるなかれ」と書かれています。209頁)として取り持っていくようなものにも、思えますね。

「三つの家」を活用した子ども虐待のアセスメントとプランニング【書評】

 先週のことになりますが,この本を読み終わりました。

www.kinokuniya.co.jp

 この本は,外国(ニュージーランドとオーストラリア)と日本の,子ども虐待問題に関わるソーシャル・ワーカーの先生方が書かれたもので,親子の間に何らかの「溝」があるものの,それを親や子自身でも認識できなかったり,あるいは相手に上手く伝えられない場合に,ソーシャルワーカーが介在して親子間のコミュニケーションを図る方法を紹介したものです。
 非常に気づきのある面白い本ですが,二点注意がいるかな,と感じたところもあります。
 1つは,はしがきに「ここまでするのかと思うようなしつこさで」と書かれているように,子どもや親,そしてその周囲の人とのコミュニケーションの進め方について,その流れに沿って細かく説明されており,重複する説明部分が複数回出てきます。
 そのため,読み進めることに根気はいりますし,おそらく,親子のコミュニケーションの仲立ちするような作業を実際に行ったことがある読み手でないと,なぜこれほど同じことが重複して書かれているのかがわからず,筆者の意図が伝わらないかもしれない,と思います(その意味では読み手を選ぶでしょうか…)。
 もう1つは,この本で挙げられている「会話例」のなかには,日本の児童相談所が関与する具体的場面によっては,会話例通りのことを発言してしまうことが必ずしも適切とはいえない場面もあるように感じることでしょうか。

 この本は,一つ一つのポイントや言い回しを暗記するのではなく,「なぜそういったコミュニケーションの取り方をしたほうがよいのか」の理由・根拠を理解し,具体的な場面に応じて適切なコミュニケーションを使い分けることで,初めて「活きる」本に思われます。

 とはいえ,以前にも書いたとおり,親子支援の方法については私自身知りたかったことなので,その一端を記したこうした書籍に会えたことはうれしく思いました。

 こうした仕事に関わられる方であれば,おすすめです。

<追伸・近況>

 さて,まだサインズ・オブ・セーフティの本なども2冊ほど購入済みなのですが,このことろはさすがに余裕が無くなってきました。
 ここ何日間は,弁護士会の登録換の手続きや,名古屋での生活拠点を探すために,名古屋にも何度か行ってきました。
 事務所の整理もまだですし,今後研修なども有りますし,申し訳ないながら,弁護士会の委員会などについては,今後は出席を見合わせざるを得ないことが多いかと思います。
 申し訳ありません。