児童精神科の先生方との勉強会
少し前になりますが、6月26日には、児童精神科のお医者さんや、学校の先生などが有志で参加している勉強会にお邪魔させていただきました。
月に1回程度のペースで開かれているものですが、「ついつい」お話を聞きたくなって、毎回出席してしまっています。
こうした方のお話を聞くと、「法律家と、カウンセラー(あるいはお医者さん)は、違うなあ」と、改めて考えさせられ、
日頃「当然」と思っていたことが、こうした方々から見ると、「当然」でも何でもない、ということに気づかされます。
普通、裁判官であれ、裁判所調査官であれ、弁護士であれ、法律関係者が「子ども」と接するときというのは、
お父さんお母さんが離婚する場面だったり、あるいは子どもが何か問題を起こしてしまったなどの場面で、
そのあと「裁判」をしなければならない、からかかわることが多いのだろうと思います。
もちろん、お子さんが虐待を受けており、シェルター(てんぽ)に避難するのを手伝う場合など、必ずしも裁判にならないこともありますが、
多くの場合は「裁判」があるから、裁判官や裁判所調査官が出てきますし、弁護士が雇われることになります。
ですので、法律関係者がお子さんとかかわる場合というのは、
何かしらの「目的」(お子さんの意向を聞きたい、あるいは裁判までにお子さんに今後のことを考えてもらいたいなど)があり、また、時間も裁判までの間に限られてしまうことが多いのですよね。
でも、お医者様やカウンセラーの方々は、むしろ目的をもって接することが、何よりお子さんを構えさせてしまう、疲れさせてしまうし、
時間については少しづつ、長い時間をかけて接していくべき、という考え方なのですよね…。
聞いていて、なるほどそうだなあ、と思わされました。
離婚を経験したお子さんが、いきなり調査官が家に来て話を聞かれたことに、不信感を持ってしまったことを聞いたことも以前にはあり、
そうした意味では、法律関係者も、いろいろ考えることはあるのだろうと思います。
他方で、裁判は待ってくれないので、「目的」や「時間」を全く考えずにお子さんと接することもまた、それはそれで、「弁護士」として無責任になってしまうとは思いますが…。
また、こうした場で話していると、「家族療法」という言葉が、本当にここ数年でよく聞かれるようになったことを感じます。
この日も結構、そうした発言は出ましたし、何より私自身が使っていました。
私が札幌家庭裁判所にいたころは、家族療法の本は書店でそれほど見かけるものではなく、
当時は金剛出版の「家族療法リソースブック」などをわざわざ買っていい文献がないか見ていたものですが、
最近は普通に書店で見かけます。
弁護士になってから読んだのは、
「家族療法的カウンセリング」という本と、「それでも、家族は続く カウンセリングの現場で考える」という本の2冊だけですが、
どちらも興味深く、いろいろと考えさせられました。
大学への進路を迷ったとき、「心理学」は実は、選ぶかどうか迷った分野の一つでした。
結局、ある程度カウンセリングの本などを読んで、
心理学(臨床心理)は、『本人の内面の問題を解決するだけで、本人の社会における問題を解決するものではないのかな』と考えて法律家を選びました。
でも、いくら裁判をやっても、本人の心の中でそれが「一つの区切り」にならない限り、その人が前に踏み出せない…という状況が多いことを見ると、
「紛争解決手法」としての裁判というものに、限界があることを痛感してきます。
これから心理の専門家になることまでは難しいでしょうし、
そこまでするつもりはさすがにありませんが、
生涯、興味を持ち続け、学び続ける姿勢だけは持っていきたいなと思っています。
それにしても…、今月は忙しそうです。
本の執筆や、委員会での研究発表なんかが3つか4つありますね…。なんでこんな無理をしてしまったのか。
これが終わったら、本来の得意分野である労働の文献などにも、手を付けることはできると思うのですが…。