【天秤印】春日井弁護士雑記(旧名古屋・横浜弁護士雑記)

現在春日井市に勤めている元裁判官現弁護士が、日々感じたことなどを書いています。

認知行動療法って?

1月12日と、2月2日には、「ここらぼ」でこの研修に参加してきました。

www.cbt-education.org

認知行動療法」という名前は、以前、家庭裁判所にいたときに、家裁調査官の方々から伺ったことがありました。

当時は、今一つぴんと来ないところがあり、むしろ個人的には「家族療法」に関心を持ったため、認知行動療法について調べることまではしませんでした。

しかし、その後、「アンガーマネジメント」や、「ペアレントトレーニング」の本を読んでいくと、どうも認知行動療法の考え方が取り入れられているのじゃないかな…と思われる個所が散見されましたし、認知行動療法という考えは行動分析学とも関連があるようなので、「一度何かの機会にきちんと書籍を読みたい」と思っていました(でも、ついつい後回しになっていました。)。

今回、ちょうど名古屋でこうした研修がありましたので、一度「ここらぼ」を見に行くことも兼ねて、申し込んでみたものです。

…7年間、弁護士として児童精神科の医師主催の症例検討会や、養護教諭の先生方やSSWの先生方の勉強会に出ていた横浜と違って、名古屋では、まず「子どもに関わる方々の地図」から書き始めないと、わからないところもありますから…。

 

聞くことができたお話は、とても興味深いものでした。

 

認知行動療法等のものについて、自分個人のイメージで表現すると…。

ものすごく簡単に言うと、「悲観し過ぎないようにする」「怒り過ぎないようにする」ということでしょうか。

…それだけ聞くと、そんなこと簡単だ、とか、日ごろやっていると思う人もいるかもしれませんが、そうでしょうか?(僕も、できているときとできていないときがありますね…)。

ただ、楽観的になればいい、考えなければいい、というのではありません。いろいろな危険のある現代社会で、楽観的であれば生きていける、考えなければ生きていける、というものでもないと思いますので。

「し過ぎない」というところが重要です。

「きちんと。深く考える」「だけれども、悲観のし過ぎや、怒り過ぎまではしない」

こうなるでしょうか。

 

自分の心を知ることは、結構難しいです。

「自分の目には見えない」ですし、「というか、自分自身だから」、わざわざ自分で「知ろう」とまではしない、のでしょうし…。

「悲観し過ぎるなと言われても、そういう気分になってしまう」ということも、あるのかもしれません。

でも、

①「あれ?、自分の気持ちが沈んできたな」「体の調子がおかしいな」と思った時に、

「なんでだろう?。何か心が疲れたのかな?。自分はどう『考え』たのかな?」

と遡って考えてみたり、

②腹が立った時に、ひとまず時間をおいて、冷静に考えられるようにしたうえで、「なんで腹が立ったのだろう」「自分はどう『考え』たのかな?」と遡って考えてみる

認知行動療法の考え方だと、いろいろな「出来事」と、自分に生じる「気分」の間に、自分の「考え」というものがはいっており、それを冷静に検討しなおすことで、「悲観のし過ぎ」「起こりすぎ」を避けることができる、ということのようです(素人なので、間違っていたらすみません。おそらく、学術的には不正確なのだろうと思います。この「考え」と簡単な書き方をしてしまったものが、こちらのサイトで書かれている「自動思考」というものだと思うのですが)。

 

今回の研修では、そうしたことを学校で子どもに教え、子どもたちに実際学校生活の中でそうしたスキルを試してもらうことで、子どもがよりストレスに強くなれる、困難に立ち向かうことができるようになるのではないか…という試みが紹介されていました。

どうしても家庭裁判所にいたころに認知行動療法を知ったこともあって、なにかトラブルが起きたときにその問題解決のために使う、という印象・イメージがありましたが、日ごろからそうした態度・思考のパターンを身に着けておけば、よりよいのはその通りだな、と思います。

う~ん、やっぱり、認知行動療法の本も、なにか読まないとなあ…と思いますね。専門分野以外だと、どの本がいいのかの見極めがつきにくいのが悩みの種なのですが…。

名古屋には、僕も参加できる研究会や勉強会みたいなものが、あるのかないのか、その辺がまだよくわからないのですが…。