日本青年期精神療法学会を聞いて―精神医療について思うこと
12月2日(日)には、岡山からの帰りがけに大阪で一泊して、精神科医の先生のMLで回ってきた、この学会を聞いてきました。
今年のテーマは「青年期の発達障害と精神療法」とのことで関心がありましたし、関心があるものは、まず見てみないと分からないかな…と思ってしまいますので。
(きりがないので、ほどほどにはしています…)。
「法律」というものを扱っていると、「法律」では解決しきれない、「人の心」というものには、関心を抱かざるを得なくなるところがあります。横浜にいたころ、全部合わせると5年間ほども、児童精神科医の先生との勉強会には参加していました。
あらためて、児童相談所という場所に身を置いた上で、精神科医の先生方の話に耳を傾けると、いろいろと考えさせられるところがあります。
まだまだ児童相談所に入って間もなく、また、精神医学についてきちんと勉強していない身なので、ちゃんとわかってはいないのでしょうが、児童相談所と、精神科医の先生は、お互いに、「お互いが何ができ、何ができないか」を必ずしも十分に理解できていないのではないか…、それが、うまく協働することを阻んでしまっている部分が多少はあるのではないか…
そんな気持ちを、少し感じますね。
ただ、やむを得ない、避けようのないすれ違いであるところもあるのかもしれない…
そんな気持ちも、少しあります。
精神医学、というのは「唯一の正解」というものが必ずしも存在しない世界なのじゃないかな…、と個人的には思っています。
精神医学の世界には、MRIも、CTもありません。
もともと、本当はわからない、確かめようのない「人の心」を想像して、患者と対話しつつ、患者に影響を与えていく…そんなところがある分野ではないかと感じています。
他方で、現代では、不可解な事件、その人がなぜこういった行動をとったのかわからない事件が起こることも多く、そうした事件を起こしてしまった「人」に対して、どうしたらよいかがわからないこともあります。
そして…そうした場合に「答え」を求められてしまう専門家としては、どうしても「人の心」を扱う「精神医学」ということになってしまうのだろう、と思ってもいます。
そうした意味では、精神科医の先生方は、できないこと、できないかもしれないことを求められてしまう難しさがあるのではないか…。
それが、「精神医学」「精神医療」というものの、避け難い「難しさ」ではないか…。
そんなことを、少し考えることもあります。
他方で、精神医学、精神医療でなければ、良い方向への影響を与えにくい場面も、とても多いのだろうと思えますので、難しいのですが…。
今回の学会では、発表に対して質問をされた、ある先生の態度が印象に残りました。
その方は、自らの感情・負い目を分析された上で、そうした負い目や感情を発表者の先生がもっておられないかどうか、それが、「人の心」を読み解こうとするときに、影響してしまっていないかどうか。
そうしたことを聞かれていました。
知識としてはそうした姿勢を読んだ気がしますが、実際に、厳しく、自分自身をきちんと見つめないと、こうした「精神医療」に関わる仕事は難しいのかもしれない…。
そんなことを考えさせられました。
ありがとうございました。
発達障害児と保護者を支える心理アセスメント―「その子のための支援」をめざして【書評】
あんまりまとめてブログを書くのはどうかなあ…とは思うのですが。
まとめて書かないと、書く時間がとりにくいので(ほかにやりたいこともあるのですけれど^^;)。
ちょうど、この土日の電車の中で、読んだこの本が良かったものですから。
児童相談所には、心理を扱う児童心理司のかたもいらっしゃいますが、そうした方々は、児童相談所が取り扱う事件のお子さんについて、継続的にかかわってカウンセリングやセラピー等を行っていただいたり、お子さんの特性に合わせた「関わり方」を保護者の方にアドバイスしたり(アセスメントといいます。)してくださいます。
この本は、児童心理司の経験をお持ちの著者が、後者についてのご自身の考えや工夫を書かれたもので、とても勉強になります。
多くの児童心理司にとっては当然のことが多く記載されているのかもしれませんが、それでも、一つ一つの課題に真摯に自分の考えを示されているのはすごいなと思いますし、児童福祉司等、関連する職種にとっては、児童心理司の仕事の一端を理解する手助けになる気はします。
なにがしか、生きることへの難しさをもったお子さんと、その保護者の方への、温かなまなざしが全編を通じて感じられます。
「はじめに」の、「保護者の依頼によって行われたアセスメントの結果は、その保護者によって納得できるものとして受け取められてこそ実際に子どもの発達支援に活用される」という言葉が印象的でした。
また、ある種の傾向を持つお子さんの特性についてわかりやすく書かれており、そうしたお子さんがより力を伸ばしていくためにはどうしたらよいか、どうやってそうしたことを保護者の方に伝えていくか、という説明が、とても分かりやすく感じました。
相手の仕事を理解することは、よりよい協働には必要だと思っています。
ただ、児童福祉に関わる方々に、「裁判」というもの分かっていただけるようにすることは、思った以上に難しいところもあります。
裁判所は、「なぜ、そうした裁判をするのか」を証拠に基づいて、当事者はもとより、世間一般の方や、他の裁判官等に対して説明をしなければならない立場ですので…。
私の立場と、心理司や福祉司の立場は、常に一致するわけではなく、意見が食い違うこともありますが…。
何も食い違うところがないとすれば、それは、「法律の専門家を入れても児童相談所が変わらなかった」ということなので、決して望ましいことではないのだろうな、と思っています。
ジャスプカン岡山を聞いてきました。
12月1日(土)は、岡山で行われた、日本子ども虐待防止学会を見に行ってきました。
今年は、金曜日と土曜日の開催で、少し残念でした。仕事を休んでいくことには、少し躊躇もありましたので…。
ただ、一般公募の演題は、主に土曜日の開催となっていたので、それだけでも聞くことができればと思い、聞いてきました。
よかったですね。
「井の中の蛙」という言葉がありますが、やはり、一つの職場にいると、自分を客観視することはなかなか難しいようです。
「もっと勉強しないといけない」し、「もっといろいろなことを考えられるはずだな」と正直、恥ずかしくなりました。
いろいろと、関心があるテーマはあり、抄録をホームページで見ているときには迷ったのですが、いざ聞きに行く段になると、やはり自分の職務と関係する、勤務弁護士の話と協働面接の話が気になり、聞かせてもらいに行きました。
今回一番すごいと思ったのは、名古屋市西部児童相談所の根ケ山先生たちが行った、協働面接についてのお話でした。
協働面接を行うために、どれだけのことを考えているのか、そのためにどれだけの勉強をされているのか、という話を伺った際には、頭が下がりましたね…。
もちろん、個々の児童相談所で考え方や、その時優先すべき課題が異なることはあり得ますので、同じ方法を取り入れた方が良いのかどうかはわかりませんが…。
そうしたやり方がある、それだけの工夫をした方がいる、ということを伺えただけでも意味がありました。
そのほか、今年もそれぞれの演題から、いろいろなことを教えていただき、考えさせていただくことができました。
ありがとうございました。
ベーシック発達心理学【書評】
更新が久しぶりになってしまったなあ…。
そう、言うしかない状態ですね。
この間、休みの日はさまざまな書籍や文献を読んだり、あちこちのイベントを聞きに行ったり、様々な施設に行ったりもしたのですが、日々新しいことに遭遇し、それを消化するだけでも手一杯(というか、未消化の山)で、とてもとてもブログにするだけの余裕もありませんでした。
いくらか前に読み終わったものですが、この本が面白かったので。
参加した研修で、講師の先生から、「子どもの状態から【見立て】を立てていくためには、子どもの発達について知らなければならない」と言われた言葉(不正確かもしれません。すみません。)が琴線に触れたので、購入してみた本です。
その先生に、子どもの発達について学ぶにあたり適当な本を伺ってみたものの、「これ」という教示がなかったので、名古屋の三省堂で、保育や発達についての書棚を捜し歩き、いくつかの書籍を手によって読み比べて、選んでみた一冊です。
この本を選んだ理由は、
①身体的な発達ではなく、むしろ、心理的な発達を中心に、今後勉強する土台となるような幅広い記載があること、
②より勉強したいな、と思った個所向けに、参考文献(さらに学ぶための文献)が充実していること、
この2点です。
「選んだ」だけあって、「当たり」でした。
「ベーシック」と銘打たれているように、個々の「章」についての記述の量は少なめなのですが、少ない量の中に相当に濃い内容が詰め込まれており、読むのに結構時間がかかります。
自分自身が知りたかったこととの関係では、第8章「認知の発達」、第9章「言語の発達」、第10章「社会性・道徳性の発達」が面白かったでしょうか。
赤ちゃんの目をのぞき込んでみると、その頭の中で赤ちゃんが何を考えているのかなあ…ということは、気になります(いや、そういった考えが浮かぶのではなく、「かわいい」ということに夢中になってしまう人の方が多いのかもしれませんが…)。
第8章は、赤ちゃんが生まれてから、目に見える内容とは違う「物」をどう認識していくかといったことから始まり、生物と無生物の違いをどう認識するか、他の人の視点からものを考えることはいつごろできるようになるかといった内容が触れられていて、興味深かったですし、第9章は、あかちゃんが言葉を覚えていく過程を、「だれ・なに」と「どうした」というような2語文で表現するようになるのはいつからか、さらに、その二つの関係を表現する「が」や「を」(格助詞)を使用するようになるのはいつからか、発語はほかの人とのコミュニケーションのためだけではなく、赤ちゃんが自分の考えを整理するためにも使われているのではないかなど、いわば「赤ちゃんにとっての世界の広がり方」が書かれていて、おもしろいですね。
もちろん、こうした「発達のスピード」には個人差がある、ということも繰り返し触れられていて、「こうならないといけない」ということではないのでしょう。実際、言葉なんかは後から追いついてくる子も多いみたいだな…と感じます(保健師さんの活動のたまものでしょうけれど)。
この本と、少し前に読んだ「乳幼児期の健康診査と保健指導に関する標準的な考え方」や「標準的な乳幼児の健康診査と保健指導に関する手引き」を合わせて、子どもの年齢に応じた発達について、表のようなものを作ってみても、いろいろなことがもっと関連付けて分かるのかもしれません。ただ、他にも読めていない、積まれている本はたくさんあるので、難しいでしょうかね…。
書中で挙げられている文献の中には、すでに読んでいる本―「0歳児が言葉を獲得するとき―行動学からのアプローチ」などもありましたし、「行動分析学入門」に書かれていたのと同じような内容などは、随所に見られましたね。
それにしても…引用文献のかなりが外国の文献ですね…。この手の研究では、まだまだ外国の方が進んでいるのでしょうかね…。
まだまだ、日本の文献すら十分に読めていないので、そこまでは到達できませんが…。
そして、面識のある精神医学の先生から聞いたように、「心理」といいつつ、この分野には脳神経学的な知見もどんどんと取り入れられている気もします。
ても、もしかしてこれ、お母さん向けの育児書の方が、「より分かりやすい表現」で「いろいろ」なことが書かれているかも…とも思ってしまいました(赤ちゃんの世界の広がり方を知りたいお母さんには、そちらの方が圧倒的におすすめでしょうね…)。
そこまでは、探すときに考えませんでしたね…。ううん…。
子ども・家族支援に役立つ面接の技とコツ【書評】
複雑にしてシンプル、シンプルだけれども複雑。
読後感を表すと、そんな印象を受けるでしょうか。
複雑かな、と思うと、書いてある内容は意外にシンプルにも思えるところがありますが、簡単に実践できるかというと、とても難しい―。
この本は、子どもや家族支援に関わる専門家が、それぞれ【異なる立場】あるいは【異なるスタンス・視点】から、子供や家族に関わってきた経験をもとに、子どもや家族との面接について書いた本です。
ある一つの考え方に貫かれた本、ではなく、さまざまな考えが示された本ですので、混乱するところもあるかもしれませんし、初学者向きのところもあれば、初学者に向かないところもあるように思います。初学者向きのところもあるのではないかと思ったのは、さまざまな立場・スタンスからの面接への取り組み方が書かれているため、自分の見方・考え方に近い取り組みや、逆に思いついていなかった取り組みを見つけることができ、そこから学びを広げていけるのではないかと思ったためです。
他方で、この本に書かれている、各執筆者の「想い」や「苦労・工夫」は、実際に同じ立場で呻吟した方ではないと、十分に受け止めることが難しいのだろうな、と思います。
それぞれに違う立場やスタンスで書かれているといっても、底流にあるものは同じところがあり、
①常に二つの視点をもつこと(安定と変化、強みと弱み等)
②相談者の「枠」や、関わるにあたっての想い、人間性
というものをきちんと持ったうえで、
・それぞれの場面での自分の立場、相手の立場に応じた、相手とコミュニケーションをとっていくための工夫
・子どもや保護者・家族をどのように見て、捉えていくか
というものが大切なのだろうと思います。
これだけ書いてしまうと、ある意味当たり前のことでもあり、こうした事柄を念頭に置きながら、実践で工夫したその部分にこそ本質があるようにも思われますので、同じ立場で呻吟し、苦しんだ人でないと、本当の工夫は受け取れないのかもしれないと思いました。
その意味では、自分の場合、一度読んだだけではまた【受け取れるものを受け取れていない】のだろうと思っています。
それでも、この数か月の経験を見直し、児童福祉司という仕事について、いくつかとても大切な「気づき」を得ることができました。
いい本だな、と思います。
たぶん、これからの仕事において、悩みに直面して読み返すごとに、新しいことに気づかせてくれそうに思えますので…。
居場所のちから―生きているだけですごいんだ【書評】
以前ブログを書いたとき「読もう」と思った、この本を、少し前に読み終わりました。
横浜から持ってきておいて、正解だったな、と思います。
著者の西野博之さんは、「NPO法人フリースペースたまりば」という活動を、平成3年頃から続け、平成15年には、川崎市が「子ども夢パーク」を設立する際に関わられ、さらにはその中において公的な「フリースペースえん」を発足させる、などの活動をされた人です。
神奈川県弁護士会で、こどもの日の記念イベントにお呼びしたり、子ども夢パークを見学に行かせていただいたり、イベントにお話を聞きに行ったりしたことがあり、「ゼロから体当たりで模索し、何かを作り上げてきた人」の話に聞き入ったものでした。
この本では、1章でそうした「フリースペースを作り始めた際の体験」を、2章で様々な試行錯誤を取り扱った後に、3章で「居場所」という形態と経済的な問題について触れ、4章では子育てにおいて大切なことを、5章では、居場所を生み出すにあたっての心得を書いています。
読んでいてわくわくするのは、1章と2章ですが、個人的には3章にもっとも関心がありますし、また、自分でも考えなければならないのは5章だと思っています。
私自身は、福祉の場面においても経済的な問題は抜きにはできないと考えていますので(NPOで行うにせよ寄付が必要ですし、公的な運営であれば税金=払ってくださる納税者の方々が当然必要ですので。)、「経済の壁」との葛藤について書かれた第3章はとても興味深く読ませていただきました。この章の答えは、まだ終わりではないのかもしれない、これからも続いていく問題なのかもしれないと感じています。いまは「子ども夢パーク」「フリースペースえん」は、公的な費用で賄われていますが、そこに「どの程度の税金を投入する」ことに「市民の方々のコンセンサス」が得られるのか、また、「こうした活動が市民の方々に何をお返しできるのか」は、常に問いかけられる問題だろうと、個人的には思っていますので…(もっとも、昔ブログ内でも少し触れたのですが、その効果測定のために、あまりに多額の費用をかけてエビデンスを求めることも、本末転倒になりかねないと感じていますし、そうした「測定」が本当に正しいのか、大事なものを切り捨ててしまわないかという懸念も感じるので、「難しいな」と思っているのですが…。)。
また、第5章「居場所を生み出すまなざし」は、1つ前のブログでも触れた、「大人になるという現実との直面」という問題ともかかわっているなと思います(昔別のブログでも、子どもとの面会場面で何を話すかについての自分の悩みという形で書いていますね…)。そうした現実との直面の「隙間」「猶予」を与えてあげることが、一つの「エンパワメントの方法」になるのではないか、というのが、この本の立場なのだろうと思っています。
この本に書かれているようなことについて、私自身答えは出せていません。
でも、読むと、考えてみたいことを「投げかけてもらえる」本だと思います。
ROOKIES就職体験会を見学させていただいて
今日は、「ROOKIES」の就職体験会を見学させていただきました。
児童養護施設等を出身の若者を、雇用と応援する職親の会|ROOKIES
「ROOKIES」というのは、児童養護施設等を退所した後や、事情があって親の援助や保証を受けられない方々を応援してくださる団体です。
今日の取り組みは、この団体に所属している各会社の方が、自分の会社の仕事についてお話しして下さるものでしたが、「体験」できるものが多かったこと、またいくつかの仕事については「自分たちの生活のどこに役立っているかが、改めてわかる」ものであったことなどに、団体の方々の工夫と熱意を感じました。
ありがたいな、と思います。
子どもに関わるとき、いつか「巣立つ」時期が来ることを、どう扱ったらよいかは、個人的には悩みがつきないところです。
「いずれ自立しなければならないから、その時のために準備をしなければならないよ」というのは、「間違っていません」。少年審判官をしていた時も、付添人をしていた時も、シェルターの子ども弁護士をしていた時も、そうしたことは、程度の差はあれ、触れてきたことも多かったように思います。
やはり、経済的な理由や制度上の理由から、いずれ自立しなければならない時期が来てしまうことが明らかである以上は、それをわかっていながら告げずにいることが良いことだとも言い切れませんでしたので…。
他方で、そうした現実を受け止めることが難しかったり、そうしたことが親子間の葛藤等の原因となってしまっている場合もありますので、ただ現実を告げればいいというものでもありません。まさに、そうした側面に着目することが、前回のブログでも書いた「居場所の取り組み」につながっているのだろうとも感じていました。
子どもと接する場面において、こうしたこと―大人になっていくことを話した方がいいのかどうか、どう話していったらいいのか、もっと違う話し方をしていたら子どもの反応も変わったのか…、そんなことをいつも考えながら、少年審判官、付添人、子どもシェルターの弁護士をしてきました(以前、こちらのブログで少し書きました。)。
そうした自分の歩いてきた先にあったのが、いまいる児童相談所なのだろう、と思っています。
そんな悩みを持つ立場からすると、今日のような「深刻に考えなくても、まず気軽に参加・体験できる」イベントというのは、ありがたいな、と思います。
それぞれの子どもが、すぐに壁を乗り越えることができるか、進む道を決められるかは、そう簡単ではないかもしれません。
でも、いつか壁に直面した時に、ここで体験したことを思い出してくださる方も、いらっしゃるかもしれませんので…。