【天秤印】春日井弁護士雑記(旧名古屋・横浜弁護士雑記)

現在春日井市に勤めている元裁判官現弁護士が、日々感じたことなどを書いています。

伝えることは難しい

う~ん。この年になってこんなことに悩んでいてはダメなのかもしれませんが…。

やはり「伝えること」というのは難しい。

判例が明言している、本に明確に書いてある、というものであれば、説明を受けた側も分かってくれるのですが…。

その事例に適した裁判例はない、本にも明確に書いてあるわけでもない、が、総合的に判断して僕はこう考える…ということは、わかってもらうのは難しかったようです。

う~ん、力不足か…。

もっと時間をもらって、きちんと自分の考えを整理して、わかりやすくブラッシュアップして示せば、もう少しいいかもしれません。個々の問題を深く調べ過ぎずに、表面的な回答でとどめれば、もっとわかりやすい答えにできるし、「わかりやすくする」ことに時間も割けるかな…とは思うんですよね。

ただ、「わかりやすく示す」というのは、それだけ「正確さ」からは遠ざかることになりますし、表面的な答えにとどめると、対話の中で理解やアイデアが生まれなくなってしまうこともあります。

なので、どうするかが悩ましいですね。

 

裁判所にいたときに他の方から聞いたことですが、行政の世界では、A4一枚の図に様々な事情を書いてわかりやすく説明することが重宝されるそうです(行政庁の資料などでも、そうしたものがあります)。行政の取り扱う広範な問題に、迅速に意思決定をするには、そうでないとなかなか回らないのでしょう。

他方で、「司法」の世界は、「自分が意思決定すればよい」世界ではなく、「それを他人である裁判官はどう判断するか」(あるいは判決の読み手は納得するか)の世界です。そして、裁判は「正確性」を基にするので、それなりの事件の判決文だと、20~30頁に及ぶものになりますし、その理由の説明も、きちんと説明しようとすると(それがどこまで可能か、それを試みるとかえって分かりにくくならないかは、裁判官によっても考え方が異なるかもしれません。僕はこだわってしまう方でしたね)、かなり長くなってしまうこともあります。

この「間」をどう埋めていくかだなあ…。

もっとも、「分かってもらおう」という僕のそのスタンスが、必ずしも相手が求めているものでない、ということは結構あるかもしれないとは思っているので、そこはいずれ気を付けないといけないかなと思っています。今はまだ、それを気にする段階にたどり着けていないでしょうか。

でも、もっと表現を工夫できる余地はあるだろうな。